卓話者 鈴木孝治 君
演 題 「私の人生経験と牛の話 」
2回目の卓話になります。前回は、ロータリーの年次方針「手を貸そう」ということで足助町の鈴木さんにお願い致しました。今日は私の人生経験の話をしながら牛の話しをしたいと思います。その後時間があれば産地偽装の話をします。生まれは神明町で物心がついた時に出会ったのが浦野君で一番幼なじみになります。小中高と豊田市にいましたが、県外の大学に行くこととなり転機となりました。特に青森での3年間は遊びと人生を楽しみました。卒業後1974年当時オイルショックの後で就職先が無く三重県の和田金に打診したところ大学生は採用が初めてだから最低10年は働いてもらわなくてはということでやめました。どうしようかと悩んで教授に相談したところその教授が見聞を広めたらどうかということで、農水省の海外研修の道を選びアメリカに行くことに決めました。このことが多分、人生一番の転機になったと思います。
1975年1月全国から83人が渡米し、サンフランシスコに到着3日間の観光とカルフォルニア大学のバークレー校で2週間の語学研修の後、実習先の中西部穀倉地帯のアイオワ州へと旅立つのですが、23人が渡されたのがアイオワまでの航空チケットだけで行けとのことでした。州都のデモインに到着し23人が2日滞在しました。その時までは何の不安もありませんでしたが、出発の日の出来事がカルチャーショックと不安の1日であり後の人生で大いに自信と度胸を持たせてくれました。そのエピソードは、午前10時30分発のコンチネンタルバスに3人で乗車し目的地に向かうのですが一人降り二人降り残された私の不安その後約20分の長かった事。他の2人は町のバスターミナで降りたのですが私が降りたのは道路の脇の誰一人いない停留所で周りは一面の銀世界氷点下5度位で寒い事、ホストファミリーが迎えに来るまで約20分間とても長く感じたこと、みんなと別れて40分間の不安は今でも忘れることはありません。その後ホストファミリーが来てスーツにコート姿の私を見て今から買い物にマーケットへ行くとのことでそこでワーキングブーツを買わされて家に着くとすぐ着替えろとのこと、農場の案内かと思えばすぐに仕事をすると言われ説明なしに豚への餌やりの手伝いをしました。仕事が終わってシャワーを浴び家族紹介・食事その時に最大の難問タバコか酒のどちらか一つはゆるすといわれ渋々タバコを選択しました。その後午後7時着替えて軽作業終了時間は午後9時よく頑張った明日朝は6時から仕事との事でした。
ここの農家は年間2500頭出荷の養豚経営で私の目的の牛は100頭、放牧の |
ためあまり牛に関しては実習出来ませんでしたがアメリカ農民の考え方特に宗教・政治・経済などを聞き考えさせられました。5%の農民が国土の75%を所有している。私たち農民は1年耕作すれば約3年アメリカ国民を養うことが出来るとよく言われました。もし耕作しなければ穀物は高騰し我々は楽に生活できるが神イエスが許さないとよく言われました。
この1年でアメリカ農民の生活、習慣などを体験しました。しかし本来の目的である牛の実習がなされていないので自分のわがままを通し一人残ることにしました。1年間の実習後2週間自由時間がありアメリカ大陸をバスで旅行しましたがこの2週間でも様々な体験をしました。治安の悪いニューヨークの地下鉄の乗車・ニューオリンズでは3大カーニバルの一つであるマディグラを体験・テキサスとアリゾナの州境では移民管に捕まり約1日間ジェイルに入れられ・アリゾナの州都フェニックスからグランドキャニオンに行った時フェニクスは30度、グランドキャニオンは銀世界の冬など旅にまつわる多くのエピソードがあります。
2年目の実習はカリフォルニアの企業的農場2箇所で経営していました。1箇所は酪農経営で1000頭の乳用牛を飼育していて毎日800頭前後の搾乳をしていました。そこでは毎日2〜3頭の子牛が生まれそれらの世話が主な作業でありました。もう1箇所は肉牛経営で3000頭の牛がおり3ヶ月で2400頭の出産ラッシュがあり約2ヶ月間休み無く分娩の世話をしていました。帰国後父の会社で仕事を始め牧場と肉屋に携わり色々な家畜市場に出入りし仕事をしてきました。40歳の時牧場を分離させ5年をめどに経営を安定させ46歳の時には廃棄物処理の新規事業を立ち上げほぼ順調に事業が推移して来ていると判断し47歳の時にロータリーに入会しました。しかし入会半年でBSE問題が発生し奈落に突き落とされました。その当時1頭当り20万円程で出荷されていた物が3万円程度に暴落しどうすることも出来ない所まで追いやられました。しかし200頭前後の飼料代が200万円、販売代金で給与と牛の代金が確保できればあとは半年持ちこたえればどうにかなると判断し行って来ました。牛肉生産に当り保険のようなセーフティーネットというのがあり子牛生産に当り13万5千円を下回るとその差額が半年後に支給されるという仕装着義務があり出産・移動・死亡が発生したら 5日以内に報告組みがあり救済されました。BSE発生以降牛に関しては耳標しなければならなくなりました。それを怠ると売買が出来なくなるようになっています。 |