47-10

例会日 毎週水曜日 12:30〜13:30
例会場 ホテルトヨタキャッスル
事務局 〒471-0027
豊田市喜多町2-160 ホテルトヨタキャッスル8F
  0565-34-4333  Fax 0565-34-4381
会長 小松正伸 幹事 鈴木英治 会報委員長 近藤英人


第1323回 例会
 開 催 日 2007年 9月 12日(水)
出 席 報 告 矢頭功生君
会   員 81名 (病欠 名)
出席対象会員 66名 欠席 10名
出 席 率 84.85%
8月 29日 第1321回 修正出席率96.97%
 場   所 ホテルトヨタキャッスル
 司   会 中村 稔 君
 斉   唱 

手に手つないで

 皆 出 席  
 来訪者紹介 (豊田RC)稲垣利彦君・松井博文君

会長挨拶
小松正伸
先週の例会は事前予告なしで避難訓練を実行させていただきました。ご協力本当に有難うございました。
 防災の日とは大正12年(1923年)9月1日に発生した「関東大震災の教訓を忘れないで下さい」という意味と、立春から数えて210日目が9月1日前後となり、この時期に台風などの自然災害が起こりやすい。この2つの心構えをするようにと昭和35年(1960年)に制定された記念日です。
 日本列島は怖い地震列島です。この十数年での大型地震を省みれば、平成5年(1993年)7月12日に発生した北海道南西沖地震、これは津波による奥尻島壊滅状態となった地震です。其の2年後の平成7年(1995年)11月17日あの、阪神淡路大震災。そしてそれも記憶が薄れかけた9年後、平成16年(2004年)の新潟県中越地震それから僅か3年後、今年の平成19年は3月25日の能登半島沖地震、7月16日の新潟県中越沖地震といずれも震度6〜7以上の大型地震で多くの死者、負傷者、家屋倒壊といった大きな被害をもたらしたことは周知の通りです。では愛知県での大型地震波は何時発生したかと言いますと、昭和19年12月7日の東南海地震、そして其の僅か37日後の昭和20年(1945年)1月13日に三河地震と2つの地震がほぼ同時に発生し、死者3,000人以上、家屋倒壊2,000戸以上の大被害をもたらしました。復興もままならぬ其の7ヵ月後に終戦を迎えたのです。それ以来62年間大きな地震に愛知県は襲われていません。それだけにそろそろ来るのではと言った心配をしなければならないのです。
心配は地震だけでは有りません。台風による被害も何時起きるか分かりません。確か7年前の東海豪雨以来、台風が日本本土に上陸しても愛知県を上手に避けてくれています。しかし、これも何時来ても不思議ではありません。
 又、毎年おきている自然災害で皆さんが余り意識していない災害があります。それは冬場の路面の凍結です。山間部はもちろんですが、市街地でも橋上の路面凍結は厳しく車のスリップ事故を多く起こしています。
 こういった災害を未然に防ぐ為に、あるいは復旧の為の対策を行政と自治会そして市民団体が協力して緊急態勢を執り住民の安心安全確保に万全の注意を払っています。其の大きな役割の一部を果たしているのが、建設業者で組織する団体です。行政と防災対策協議を充分行い、皆さんの気が付かない所で、地域住民の生活が安心で安全に暮らせるよう努力しています。建設業者は防災連絡体系表を作って、緊急時には日夜を問わず行動が起こせる態勢を整えているのです。ところが最近は経営の苦しさが影響し、「ボランティアだけではやっていけない」と愚痴の出る会社が増えてきているのも事実です。どうか地方建設業の必要性を理解していただければ幸いです。職業奉仕の一端を述べさせていただき挨拶とします。
幹事報告
鈴木英治

 1.2006‐07年度のガバナー月信年次報告書No14号配布
 2.本渡RCより会報が届いています。
 3.ガバナー事務所より地区大会への参加お願いが改めて届いています。
 3.例会変更のお知らせ


クラブ名 月  日 時  間     場   所   (*受付日)
豊 田

10/27-28

  *10/25(木)の変更
豊田西

  9/17(月)

休会  
 〃

 10/ 6(土)

  *10/1(月)の変更
 〃

 10/ 8(月)

休会  
豊田三好

 9/17.24(月)

休会  
 〃

 10/ 5(金)

休会  
 〃

*10/22(月)

12:30 名鉄トヨタホテル
豊田中

  9/22(土)

11:00 *9/21(金)の変更
 〃

*10/ 5(金)

11:30 職場例会

 
おめでとう
横山克則
    結婚記念日 近藤英人君ご夫妻 ご夫人誕生日 今井啓介君奥様 栄子さん
    会員誕生日 鈴木基之君
 
委員会報告
 
 ○国際奉仕委員会 神谷重雄君 地区に在住する外国人社員や留学生との交流を目的としたスポーツレクリェーション「第3回 NAGOYA UNDOUKAI」(主催 名古屋商工会議所)が、11/25に愛知県武道館で開催。RC会員企業で働く外国人社員・留学生・学友、その家族などへの参加のご案内。
 ○新世代委員会 鈴木博之君 ローターアクトがこの7月よりスタートしました。月2回の例会(場所:豊田商工会議所内 会議室)をしており、出席いただきますとメイクアップにもなります。9月30日 豊田厚生病院見学、10月14日 スポーツ大会(ソフト・バレー)、10月23日 韓国の食文化(あぶりや)、11月6日 みんなのゴルフ等、いろいろな企画をしております。ぜひ参加ください。
 ○前年度幹事 鈴木敬一君 前年度の当クラブ年次報告書をレターボックスに入れておきましたのでお読みください。
 ○前年度会計 安藤和広君 前年度の決算報告をいたします。本日配布されました年次報告書の26〜28ページに記載してあります。(詳細について説明)
ニコボックス
浦野滋行
(当会員敬称略)
やっと出てきました。3ヶ月の休みの間、日本の各地や中国で学んできました。これからは皆さんのお役に立つよう更に精進します。目も良くなりました。心もやわらかくなりました。でもゴルフは………です。仲良く遊んでください。
木村和義
よかったね!
愛知 治
卓話当番が廻ってきました。どうぞよろしくお願いいたします。
柴田明司

柴田明司さんの卓話に期待します。
   小松正伸 鈴木英治 近藤英人 梅村憲一 鈴木博之 加藤勝美 都築義勝 豊田 稔
   鈴木教信 鈴木裕仁 中根 茂 鈴木 昌 久保田浩 大野教喜 横山克則 石橋博文
   近藤邦夫 甲村紘三 近藤 治 永野卓司 安藤和広 山内達己 矢頭功生 内山裕介
   大原裕也 中村 稔 松山俊昭 浦野政幸 川ア省治 村瀬一夫 今井啓介 加藤千尋
   池田勝興 棚橋寿男 加藤連治 米本益栄 浅井恒和 近藤 厚 浦野 朗 鈴木直衛
   服部基一 鈴木常夫 鈴木晴雄 鈴木基之 神谷重雄 榊原要一

ニコ当番の浦野です。皆様のご投金に感謝します。 浦野滋行
 


卓話者 柴田明司 君
    演  題  「自己紹介」

 本日卓話担当の柴田明司です。どうぞよろしくお願いします。
先ずはこの一年、当クラブの会長を務めさせて頂き有難うございました。先ほど年次報告書を配布し会計報告も行いましたが、これで本日をもって全て終わったのかな、と思っている次第であります。皆さんのご協力に感謝します。
 さて本日は自己紹介を兼ね、我が故郷 猿投(猿投山、猿投神社等)について少し話しをさせて頂きたいと思います。私は昭和19年生まれで今年63才になります。住まいは霊峰猿投山の麓、猿投神社所在の部落で農家に生まれました。高校を卒業して「何をやろうかな」と考えた時、少ない土地でお金を稼ぐにはどうしたらいいか…それで初めは300坪程の土地で観葉植物の温室栽培を始めました。今では100円、200円というものが当時は10万円、20万円で売れる…そんな時代でありました。次に植木のリースを始めました。これもお陰さまでトヨタ自動車の発展と共に多くの人や会社に利用して頂きました。この他 現在では 造園業、ビル管理業(オフィスの清掃・警備・設備管理・産廃の処理等)もやっております。また水稲も7反ばかりやっています。水がきれいで温度差もあり「猿投の米はおいしい」と言われております。
 私の住んでいる猿投町は、大きな湿地はありませんが、小さな湿原が丘陵の間に点在しております。地層の特徴は、砂礫層、砂層、シルト層が幾重にも重なり合う互層となっており、これらは尾張、三河、東濃地方にかけて広がっていた湖水(東海湖)の堆積物と考えられております。近年、東海地震や東南海地震など危惧されておりますが、当地には猿投・境川断層と呼ばれる、猿投山の南東部を藤岡町飯野の北方から猿投神社東、さらには上伊保北西にかけて走る断層があり、各所でその断層面が観察できます。
 さて猿投神社を祀る猿投山は標高629メートルで、東は遠江、北は美濃・信濃の連山、そして南に三河平野、西に尾張平野を見下ろす山であります。この山より流れ出る水は、古来西三河や東尾張の灌漑用水として利用され、現在のような用水施設のない時代には恵みの水として地域住民に尊ばれたのであります。また猿投山は花崗岩類が広く分布し、副成分としてのジルコンを含んでいることから「猿投岩体」と呼ばれ、猿投山を中心に矢作川以西、藤岡・小原・瑞浪(岐阜県)にかけて分布しております。この花崗岩類は著しい風化作用をうけて石英、長石など硬い鉱物粒を残して粘土質に変化、これは通称「サバエ」とよばれ陶磁器の原料として使用されている。また球状花崗岩・・岩相が菊花によく似ていることから別名「菊石」と呼ばれ天然記念物にも指定されております。猿投山中腹の白滝の河原に多く分布し


見ることができます。さらにガラスの原料となる硅砂は、西枝下、御船、猿投、篠原、八草など広く採掘場が営まれております。
 猿投神社は、その昔、猿投大明神と呼ばれ、熱田神宮とともに霊験あらたかな神社として有名であります。古くから三河三の宮(一の宮・一宮、二の宮・知立、三の宮・猿投)として知られ、江戸幕府よりご朱印料(七百七十六石)を所領した神社としても有名であります。祭神は景行天皇の第一皇子の大碓命(日本武尊の兄君)を主神とし、その両側に垂仁天皇(第11代)と景行天皇(第12代)のお二方をお祀りしている。猿投山の南麓にあるのが、本社(下の宮)であり、創建は仲哀天皇(192年〜200年)の頃とも伝えられておりますが定かではありません。山上の東峰に東の宮、西峰に西の宮があり、この三つを称して三所明神とか三所大権現などと古来より呼ばれております。
 猿投神社の祭礼の馬の塔(献馬)奉納は、天文22年(1553年)に尾張岩崎城主 丹羽若狭守氏清が猿投神社の社領安堵状を納める時に、岩崎村と本郷村の領土民と共に奉納したと伝えられております。
 また、地元に伝わる「棒の手」については発生起源ははっきりしませんが、一説によると戦国騒乱の時代に野党の横行を防ぐのに農民が立ち上がり、密かに自衛のために武芸習得に励み、これが長じて村の祭礼に場を移し、やがて祭事芸能の一つとして人気を呼び定着したものと思われます。この農民武芸は田舎に草相撲とか草競馬があるように、正しい剣法でないにしても、身近な棒や木刀なら容易に持てることから編み出されたものと思われます。そしてもう一つは、農民が持つ農具の真髄ともいうべき「棒」には、棒の持つ神秘的な要素があり、昔から棒は神の宿るものとして大切にされてきました。農民や商人が用いた棒にまつわる用語に「心棒」とか「天びん棒」など数多くがあります。
 農民武芸についてはもう一説あります。当時尾張・三河には、織田・豊臣・徳川の三大武将が天下統一を目指して兵力増強に奔走していました。農民は農兵として徴用され後方の雑役などに使われたことから、農民が自衛武芸に志すようになったようであります。これを裏づけるように、棒の手の発祥地でもある尾張日進村や長久手村の農民が、小牧山合戦を始め岩崎城合戦、長久手合戦の折に、徳川や織田方に協力をしたという史実が残されております。
 本日は自己紹介を兼ね、我が町 猿投についていろいろ話をさせていただきました。ご静聴有難うございました。
  追 伸 当クラブ会員の加藤勝久さん(医療法人 豊寿会 斉藤病院 院長)が
9月13日にご逝去されました。
謹んで哀悼の意を表すと共にご冥福をお祈り申し上げます。
 
  記 加藤勝美